「接ぐ」をつくる
わたしたちは溶接用電線専門メーカーです
鉄と鉄、人と人、現在と未来、この先も ”「接ぐ」をつくる” を大切にしていきます
Mission (使命)
堺電業は溶接用電線専門メーカーとして、 鉄と鉄を接合する様に「人・社会・未来」を接いでいきます
Vision (目指す未来)
人 : 関わるすべての人を笑顔にします
社会: 産業・社会インフラ、日本の溶接シーンに貢献します
未来: オンリーワン企業として100年企業のその先を目指します
社会: 産業・社会インフラ、日本の溶接シーンに貢献します
未来: オンリーワン企業として100年企業のその先を目指します
Value (大切にしている在り方)
◊常に挑戦、常に進化、社員一人ひとりがメーカーとしての誇りを持って、より高品質な製品を目指し、価値ある商品の提供に努めていきます
◊あらゆるニーズに対応し、より満足して頂ける提案を追求し続けます
◊社員一人ひとりが笑顔で働ける企業で在り続けます
◊あらゆるニーズに対応し、より満足して頂ける提案を追求し続けます
◊社員一人ひとりが笑顔で働ける企業で在り続けます
MESSAGE代表挨拶
堺電業株式会社は『溶接用キャブタイヤケーブルの専門メーカー』としてニーズに対応できるケーブルを製造することは勿論、『商社機能』を充分に発揮し、溶接現場・土木工事現場・電気工事に必要な商品を、目的に合わせてさまざまなシーンをサポートできる《メーカー》+《商社》さらに《セット加工の匠》として、真に価値ある《サービス》を提供しお客様に満足して頂ける企業でありたいと考えています。
今後ますます多様化するニーズに対応できるよう、営業・製造ともにさらに信頼性、技術を磨き新しい時代に対応できるよう日々努力して前進をしてまいります。
今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
代表取締役社長 米満 協
HISTORY沿革
昭和21年 05月 | 中西健一が大阪府堺市に於いて、特殊電線・電纜販売業『堺電業社』 を創業する。 | |
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昭和24年 07月 | 大阪市北区に 『大阪営業所』 を開設する。 | |
昭和32年 01月 | 資本金125万円で組織変更し、『堺電業株式会社』を設立する。 | |
昭和34年 08月 | 本社を堺市より現所在地〈大阪市西成区〉へ移転し、同所に工場を建設して伸線および撚り線の製造を開始する。 大阪営業所を 『北営業所』 と改称する。 |
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昭和39年 01月 | 神奈川電業社を合併し、『川崎出張所』 とする。 | |
昭和40年 11月 | 本社社屋を新築し、工場を大阪市東住吉区へ移転する。 | |
昭和43年 10月 | 工場を現所在地〈滋賀県野洲市〉に新築し、伸線から被覆までを自社でまかない『溶接用キャブタイヤ専門メーカー』 として生産を開始する。 | |
昭和45年 08月 | 川崎出張所を現所在地〈川崎市貝塚〉に新築移転し、『川崎営業所』 とする。 | |
昭和47年 01月 | 高知市東城山町に 『高知営業所』 を開設する。 | |
昭和47年 03月 | 交通事情悪化のため、北営業所を閉鎖して本社に統合する。 | |
昭和48年 03月 | 高知営業所を高知市若松町に新築移転する。 | |
昭和62年 09月 | 本社営業事務所及び倉庫を新築。 | |
平成24年 09月 | レンタル倉庫を工場に隣接して新築し、キャブタイヤケーブルのレンタル事業を本格的に開始。 | |
平成28年 09月 | 出荷センターをレンタル倉庫に隣接して新築し、出荷・加工業務の専業設備として本格的に開始。 | |
平成29年 04月 | 滋賀に電線加工場を新設して全国への発送の拠点として出荷センター機能を拡大する。 | |
令和02年 09月 | 高知営業所を高知市仲田町(現事務所)に新築移転する。 |